
長年読売ジャイアンツの選手として活躍し続けている坂本勇人選手は現役プロ野球選手の中でも高い年俸をもらっています。
それほど期待が高い選手だと言えるでしょう。
そんな坂本選手は母子家庭で育ち、その環境が今の坂本選手を形成しました。
坂本勇人の家族構成
今や大物の野球選手として君臨しつつある坂本選手は兵庫県の伊丹市出身です。
この出身地はメジャーリーグで活躍する田中将大投手と一緒で、幼少時代は田中投手とバッテリーを組んでいたそうです。
早くも野球への才能を開花して行った坂本選手でしたが、家族構成が複雑ということでも話題となっています。
まず、坂本選手の父親は非常に珍しい仕事をしていました。
それはアメリカで牧場の主として活動をし、日本とアメリカの両方を頻繁に行き来していたことがわかります。
一方坂本選手の母親は松村輝美さんという名前だということが判明しました。
苗字が違うことから、離婚をしていた可能性が高いそうです。
なお、坂本選手にはあと2人家族がいました。
三人兄弟の真ん中に生まれた坂本選手には兄と弟が1人づついます。
兄の勇太さんは6歳上で、弟の勇斗さんは3つしたとのことでした。
そんな悠斗さんですが現在はマネージャーとして坂本選手の元で働いているそうです。
左利きの坂本勇人を右投右打にしたのは母
父親の仕事がらか母親が坂本選手をプロ野球選手への道へと導いた存在でした。
野球への情熱を一生懸命に支えてくれた母親に感謝の言葉を述べる坂本選手もメディアに取り上げられています。
少年時代には母親から練習場まで黒のベンツで送り迎えをされていたというエピソードも話しています。
そんな母親とのエピソードには野球人生を左右するようなものもありました。
それは利き腕に関してのことでした。
生まれつき左利きだった坂本選手は生活面において左手を使うことが多かったようです。
しかしながら、野球をする際には打つのも投げるのも両方右手でこなしています。
この判断には母親が大きく関与し、坂本選手に影響を与えていました。
兄の勇太さんがグローブを新しく買い換えたタイミングで坂本選手に母親は兄のグローブをあげました。
チームに入団すれば新しいのを買うという約束で兄のを渡したものの、母親は兄と坂本選手の利き腕が違うことに気づかなかったそうです。
そして気づいた頃には坂本選手は右手で投げる練習に励んでいました。
母は2007年に他界
母子家庭で育った坂本選手でしたが、母親がガンに侵されてしまい、闘病生活を余儀なくされます。
坂本選手の野球人生を一番そばで支え続けていた存在であった母親の容体は坂本選手もとても心配だったでしょう。
心温まる数々のエピソードを口にする坂本選手からは母親に対する愛が感じ取れます。
しかしながら、残念なことに2007年に坂本選手の母は他界してしまいます。
状態が非常に悪くなり始めたのは坂本選手が高校からプロに入るというタイミングだったので、坂本選手も動揺があったはずです。
ですが、体調が優れない母を見た坂本選手は最後に自分の出場する試合を見せてあげようと試合に招待します。
そしてなんと坂本選手はその試合でホームランを放ちました。
母親はその打球を見て、泣いて喜んだそうです。
それもそのはず、長い間支えてきた息子のプロ野球挑戦が始まり、それを目の当たりにできました。
残念ながら、この一ヶ月後に坂本選手の母親は他界しますが、最後に見れて幸せだったでしょう。
まとめ
幼少期から野球の才能を開花して行った坂本選手は影から支えてくれる存在がいました。
父とは離れ母子家庭で育った坂本選手にとって唯一の心の支えは母親だったとも言えるでしょう。
そこそこ裕福な家庭だった坂本家はベンツで練習場まで送り迎えしていたというエピソードがあります。
野球への情熱を注ぎ込むための環境づくりを母親は徹底していたそうです。
その甲斐もあってか現在では坂本選手といえば巨人のエースとして君臨しています。
現在の軽快な守備も豪快なバッティングも幼い頃から築き上げたものだということがわかります。
そして左利きにもかかわらず右腕で打ち、投げている姿も母親の微笑ましいエピソードを象徴するものでした。
そんな明るい母親でしたが坂本選手がプロに入っていくタイミングで体調が悪くなり始めてしまいます。
坂本選手の試合を最後に生で見るという機会でホームランを打ったエピソードは非常に感動的で、多くの野球ファンを魅了する話となりました。