
読売ジャイアンツで背番号9を背負う亀井善行選手は今やチームにとって欠かせない選手の一人です。
37歳になった今でも巨人でプレーを続けています。
そんな亀井選手の年俸が安いとしてネット上などで話題になっています。
亀井善行のプロフィール
亀井選手は幼少期から7歳上の兄の影響を受け、野球を始めました。
初めてキャッチボールをしたのは保育園時代だそうです。
そこからは小中高と野球少年の人生を歩み、ボーイズリーグ日本代表として世界大会を制覇も経験しています。
高校時代はチームの主将として中心的存在となり、ドラフト会議では巨人に4巡目指名を受けて入団を果たします。
1年目は2軍スタートとなりますが、のちに1軍昇格を果たし、プロ初安打と初打点などを高卒1年目にして記録します。
その後は開幕戦から出場するシーズンが増え、活躍が期待される若手選手の一人としてファンも一目置く存在になります。
2009年にはワールドベースボールクラシックの日本代表にも選出されるなど、実力は確かに認められて行きました。
この年は守備力をコーチに高く評価され、推薦されるなどして亀井選手にとって最高のシーズンとなりました。
巨人が日本一に輝き、その栄光に貢献した亀井選手はゴールデングラブ賞にも選ばれます。
怪我に苦しみ度々減俸
そんな絶好調の2009年シーズンから巨人はポテンシャルを見越して亀井選手の年俸を倍増することに乗り出します。
それまでは投手との相性で起用されていた亀井選手は右左投げ関係なくスタメンとして起用され、チームから絶大な信頼を置かれていました。
しかしながら、迎えた2010年シーズンは開幕戦から起用されるものの不振に陥ることになりました。
そして1年のうちに3度も2軍落ちを経験してしまいます。
これにはルーキーだった長野久義選手が台頭した影響も大きく関わっていました。
そしてこの年から年俸は減額制限を上回る30%減の年俸4200万円で契約を改正することになりました。
絶好調だった昨シーズンからこの結果になってしまったため、本人にとっては痛い一年になりました。
そこからも一時は打率3割台を超えたと思えば、シーズン中盤以降に急落するなどして不安定なパフォーマンスが続きました。
そして怪我に幾度となく苦しめられ、チームに貢献できない日々が続き、本人としても納得のいかない数年を過ごすことになったそうです。
37歳にして1億の大台超え
そんな波乱万丈な野球人生を歩んで来た亀井選手は37歳として迎えた2020年シーズンでやっと年俸が一億円の大台を超えました。
これまでにも大幅に年俸が上がったり下がったりしたものの、一億円に到達するのはこれが初めてです。
巨人入団したての頃は約1500万円の年俸でプレーをしていました。
そして徐々に成績を上げていき、3年目では1700万円に到達するものの、そこで不調となり1400万円まで下がってしまいます。
そこから2年連続で好調子をキープすると、6000万円まで年俸が跳ね上がりました。
これは亀井選手の最高の一年といってもいい2009年に起きた出来事でした。
しかしながら、そのまま上がっていくと思われた年俸は2年連続で減俸を食らってしまいます。
3800万円まで下がってしまった年俸を取り返すべく、挑んだ2014年シーズンでは活躍を施すことに成功します。
再び年俸を跳ね上がらせると、2016年には7000万円に到達することに成功します。
そして、2020年シーズンは巨人の絶対的選手として、1億1000万円をもらいプレーすることになりました。
まとめ
現在巨人でプレーする亀井選手は調子の振り幅が激しく、年俸が変動することを何度も経験しました。
巨人に2004年に獲得されると、そこから16年間チームを離れることなく活躍していきます。
2軍でのスタートも、そこでの活躍が認められ始めます。
そして1年目の終盤にも1軍に帯同することを果たし、コーチらからも高い守備力が認められるようになります。
期待される若手として注目を浴び、その人気に応えるように徐々に成績を残していった亀井選手は巨人からも絶大な信頼を置かれるようになります。
2009年シーズンは亀井選手にとって最高のシーズンといってもいいほど素晴らしいコンディションで終えました。
この年にはワールドベースボールクラシックの日本代表選手の一人としても選出されました。
年俸は6000万円にまで登り、すぐに一億円へ到達すると思われていました。
しかしながら、1億円の大台を超えたのは今年の2020年になりました。
巨人のレギュラーを張っている選手でありながら年俸が少ないのではと話題になっています。