ダルビッシュ有

今現在はメジャーリーグで大活躍を遂げているダルビッシュ有投手。

日本を代表する野球選手の1人として現在もアメリカでプレーを続けています。

そんなダルビッシュ選手はどのような高校時代を送っていたのでしょうか、見ていきたいと思います。

ダルビッシュ有のプロフィール

大阪府出身のダルビッシュ選手はイラン人の父と日本人の母の間に生まれました。

幼少時代から野球への興味を示し、地元の野球チームにも入団します。

中学三年生当時はチームのエースとして全国大会ではベスト8まですすみ、世界大会3位という成績を収めます。

その活躍が認められ、東北高等学校に入学します。

しかし、高校時代は成長痛に苦しめられ、度々別メニューでの調整が続いたようでした。

それでも実力を表していき1年生にしてチームの中心人物になるまで成長を遂げます。

背番号1をつけ、東北大会での優勝に大きく貢献しています。

三年生になると自身初となる時速150キロ台も記録し、スカウトの目にとまるようになります。

そしてドラフト会議では「松坂大輔以来の怪物」と称され、日本ハムファイターズが獲得を果たしました。

契約金は高校卒業直後ながらに1億円に登りました。

着々と成績を上げていったダルビッシュ選手は2012年にメジャー挑戦をすることを発表し、レンジャーズへと移籍しました。

高校野球での成績

ダルビッシュ有

今や世界的な選手となったダルビッシュ投手ですが、若い頃からその頭角を現し始めていました。

特に高校時代はその名を全国に知らしめる活躍をみせ、プロへの道を切り開く機会となりました。

進学した東北高等学校で野球に集中し、一年生時からエースピッチャーとして活躍します。

秋にはすでにチームの中心人物となりつつあったダルビッシュ選手、イケメンということもありメディアからは注目される存在でした。

一年目の通算成績は防御率がなんと1.10でした。

これはピッチャーとしては素晴らしい数字です。

2年生に上がると夏の甲子園出場を果たしますが、結果は準優勝に終わってしまいます。

決勝で常総学院に敗れてしまい、悔しそうなダルビッシュ選手が監督と握手を交わしている写真が話題となりました。

この悔しさをバネに練習に励んだダルビッシュ選手。

3年生の時には時速150キロを記録しニュースや新聞などで取り上げられるほどの大ニュースとなり、一気に世間の注目を集めました。

週刊誌で素行不良の報道、本人も謝罪

ダルビッシュ有

そんな華やかしい高校生活を送っていたダルビッシュ選手でしたが、高校時代の素行にも注目が集まっています。

2004年にはそんな素行の悪さが確認できる写真が週刊誌によって流出されてしまいました。

その写真には高校の構内で喫煙をしている人物が映し出されていました。

顔写真と名前は避けられていたものの、甲子園の時の写真と見比べてみると一目瞭然でした。

そしてダルビッシュ選手の素行の悪さはこの週刊誌に取り上げられた一件だけではありませんでした。

次の年の2月にはまた、スポーツ新聞の一面にダルビッシュ選手の過去のエピソードが掲載されました。

未成年でパチンコ店に入店していたと報道されてしまいました。

喫煙発覚から一年後に報道されたこの情報に高校側の処分にも注目が集まりました。

東北高校は無期限の謹慎を言い渡しました。

そしてダルビッシュ選手自身も同年には謝罪会見を行なっています。

バックには日本ハムのロゴが掲げられ、スーツ姿で謝るダルビッシュ選手は話題になりました。

プロ入り後は問題もなく人望の厚い選手に

ダルビッシュ有

このように過去の素行の悪さが注目されたダルビッシュ選手でしたが、プロ入り後は問題を起こさずプロ生活を送っています。

2005年の謝罪会見時には多くのファンが悲しみ、叱咤する人も存在しました。

そしてプロに入ってもその素行の悪さは抜けないのではないかと心配する人も少なくなかったようです。

その期待をいい意味で裏切ったダルビッシュ選手は日本を代表する選手とまで成長を果たしました。

徐々に国内で頭角を現していくと、すぐに侍ジャパンにも選出されます。

2007年にはオールスターゲームにも選出され、北京オリンピックではエースとして活躍が期待されました。

実力は世界にも認められ、メジャーリーグにも挑戦します。

レンジャースでは背番号11を背負い一年目から月間最優秀新人を受賞するなど新人とは思えない活躍を見せます。

2017年にはドジャースへと移籍し、その翌年には強豪のシカゴ・カブスに加入しました。

2020年現在も開幕投手にも選ばれるなど活躍を遂げています。