
今やヤクルトのエースとして成長しつつある山田哲人選手。
日本を代表する強打者としてメジャーも一目おく存在になっています。
史上初のトリプルスリー複数回打者として日本代表でも活躍し、野球ファンの間で知らない人はいないと言っても過言ではありません。
【2010年ドラフト会議で斎藤佑樹、塩見貴洋を外したヤクルトが3巡目で獲得】
兵庫県出身の山田選手は小学2年生からリトルリーグで野球の才能を開花させて行きました。
高校時代はあの強豪校履正社高等学校に進学します。
1年目の夏からベンチ入りを果たすと、2年目には二塁手としてレギュラーを任されました。
それらの経験が積み重なり、3年時には高い守備力と打率で大阪大会を優勝、近畿大会を準優勝へとチームを牽引することに成功します。
迎えた夏の甲子園大会では初戦で本盗を決め、チームの初夏勝利へと大きく貢献します。
しかし次の聖光学院高校との対戦では惨敗を喫してしまい、甲子園の夢はただれてしまいました。
そしてドラフト会議でヤクルトは甲子園を沸かせたハンカチ王子でおなじみの斎藤佑樹選手を指名しますが外れてしまいます。
外れ一位で指名した塩見貴洋もくじ引きで楽天に敗れ、3巡目で指名されたのは山田選手でした。
結果的には外れ外れの一位となってしまった山田選手でしたが、今の大活躍を見ると他の選手が外れたのはヤクルトにとって嬉しい出来事だったと言えるでしょう。
【2015年にはリーグ最高得点、最多本塁打、最多盗塁でMVP】
2011年にヤクルトへと入団した山田選手は公式戦出場をなかなかさせてもらえませんでした。
しかしフェニックスリーグでの活躍に加え、普段遊撃手を守っていた選手の怪我によってクライマックスシリーズでの出場を果たします。
この出場から徐々に調子を上げて言った山田選手、2013年にはプロ初本塁打を記録しています。
山田選手が打者として成長できたのは杉村繁打撃コーチとのマンツーマン指導が大きかったと言われています。
2014年シーズンには NPB史上初となる6ヶ月連続初回先頭打者本塁打を達成させ、着々と成長して行ったのです。
2015年シーズンに入るとその才能はさらに開花され、日本代表にも選出されます。
そして同年には球団初のトリプルスリーを獲得。
この記録は実にプロ野球史上9人目の偉業です。
さらには最多本塁打、そして最多盗塁も記録し、2年連続となるベストナインに加えセ・リーグの最優秀選手に選出されました。
山田選手はこのシーズンで全国にその名を広めましたが、成長し続けている姿を見せてくれています。
【その後も調子を上げ続け、トリプルスリーを3回達成】
高卒5年目にして2億円越えの年俸を手にした山田選手。
この驚異の額は過去にイチロー選手や松井秀樹選手に続く記録でした。
そして2016年シーズンも好調で迎え、日本代表にも再度選出されるなど着々と経験を積んで行きます。
2度の死球によって怪我を負いますが、それでも2年連続でトリプルスリーを記録し、盗塁王にも輝きます。
侍ジャパンにも継続的に呼ばれるようになります。
翌年のシーズンは山田選手にとって絶不調のシーズンとなり、トリプルスリーを逃してしまいます。
しかし2018年にはかつての輝きを取り戻しバッターボックスに入ると12試合連続の打点を記録します。
これは NPBでランディバースに継ぐ歴代2位の記録として刻まれています。
このシーズンは好調で、最終打率は3割越えとなりました。
さらに自身3度目のトリプルスリーを獲得することができます。
2019年シーズンは4度目のトリプルスリーを記録できませんでしたが、日本代表としてWBSCプレミア12で日本を優勝へと導く活躍をしています。
【メジャー挑戦は考えていない?巨人移籍が濃厚か】
日本を代表するバッターとして成長しつつある山田選手の次の移籍先へ期待が高まっています。
彼の活躍に海外メディアも目をつけ、メジャーのクラブも続々と一目おく存在として取り上げています。
年俸5億円で契約を果たしたヤクルトから次なる移籍先としてメジャーを選ぶと思われていましたが、本人にはその意向が全くないようです。
「メジャー志向はまったくなく、ポスティングを使うことも考えられません」とメディアで述べた山田選手の移籍先として国内の2球団が候補に挙げられています。
それはソフトバンクホークスと読売ジャイアンツです。
両球団ともにセカンドが弱みとして捉えられているため、山田選手の移籍は大きな戦力アップとなります。
山田選手自身は幼い頃から熱烈な巨人ファンであったことを明かしており、相当な憧れを持っているとメディアでは伝えられています。
巨人側も今年獲得に乗り出していた二塁手の菊池涼介選手を獲り損ねてしまい、すでに表面下で接触しているのではないかとも言われています。