
今現在は巨人のエース投手として君臨している菅野智之選手、日本を代表するピッチャーとしても期待が高まっています。
そんな菅野投手ですが、チームメイトから嫌われているという噂も囁かれています。
菅野投手と原監督の関係も注目されています。
菅野智之のプロフィール
幼少時代から野球に関心を示していた菅野投手は本格的に小学校時代から野球を始めました。
「東林ファルコンズ」という軟式の野球少年クラブに所属していて、当時から投手としての才能をあらわにしていました。
中学時代にもなると、チームを県大会優勝に導く活躍を見せます。
甲子園出場が期待されていましたが、一度も出場することはなく高校時代を終えました。
ドラフト会議で数々の球団が指名をする中、巨人に入団することを表明し、入団してからはこれまでずっと巨人に在籍しています。
この7年間で菅野投手は野球選手として大きく成長を遂げ、日本代表にも度々名を連ねるようになっていきました。
オールスターゲームズにも監督推薦で出場するなど、周りからの信頼は一段とあついようでした。
2019年からは脱力投法を取り入れ、さらに投手としての価値を上げていきます。
5年連続で開幕投手を任されている姿を見ると、今でも成長し続けているピッチャーだということがわかります。
原監督の巨人に入団する意思を明示
今大活躍中の菅野投手ですが、巨人を率いる原監督との意外な関係性にも注目が集まっています。
菅野投手の母方の祖父は元東海大相模高等学校野球部を指導していた原貢監督で、家族柄に野球関係の人物が多かったことがわかります。
さらに、母方の伯父までさかのぼって探って見ると、巨人の監督である原辰徳に到達します。
親戚関係に野球界の大物が何人もいることでまさに野球一家と言えるでしょう。
菅野投手が野球を始めたのも、原監督の影響が大きかったと言われています。
小学校一年生だった菅野投手が見に行った試合が、伯父の原監督がまだ現役で試合に出ていた時代でした。
そして、その試合がが原監督の引退試合だったそうです。
この試合観戦をきっかけに菅野投手は野球を土日には欠かさず練習していました。
その努力が功を奏し、中学高校と上がっていくごとにチームの主力として活躍する試合が増えていきました。
そして今では原監督が指導をしている巨人で長年プレーすることができています。
日ハムとのドラフト交渉拒否が話題に
さらに、菅野投手が巨人を入団先として選んだのにも原監督の影響が大きかったと考えられます。
実際、ドラフト会議では交渉拒否という驚きの返答を返した菅野投手に対して賛否両論飛び交う事態となっていました。
高校時代は甲子園出場を逃したものの、大学で本格手に頭角を現し始めスカウトはその確かな才能に注目しました。
原監督との関係性もあり巨人の単独指名説が濃厚だったものの、日本ハムも予想を反して1位指名をしてきました。
抽選の結果、日本ハムが菅野投手との交渉権を獲得します。
これに対して菅野投手は悩みに悩んだ結果入団拒否の意思表示をし、これにはマスコミも騒ぐこととなりました。
この決断に対して「自分の小さい頃からの夢」が日本ハムに提示された条件を上回ったとして、交渉期限最終日に獲得断念を日本ハムが発表しています。
まもなくして、菅野投手の巨人移籍が公に発表されました。
この「夢」はおそらく原監督の引退試合をきっかけに抱いたものだと言われています。
まとめ
菅野投手は原監督の引退試合を観戦しに行ったことをきっかけに、幼少時代から野球に触れる機会が多くなりました。
土日は欠かさずに練習をおこなっていたそうです。
その努力も功を奏し、中学に上がる頃にはチームのエースとして県大会優勝に導いています。
甲子園に出場はならなかったものの、大学リーグでは「大学ビッグ3」のうちの1人としてスカウトから注目を浴びました。
そして日本ハムと巨人の2球団から一位指名を受けました。
抽選で交渉権を得た日本ハムと契約を結ぶと思われていましたが、このオファーを拒止したことによってメディアも大きくこれを取り上げました。
ここには菅野投手と原監督の意外な関係も関与していると話題にもなりました。
菅野投手の伯父がなんと原監督に当たるそうで、原監督に憧れ続けて野球をしていた部分もあると考えられました。
そうすると菅野投手の判断もわからなくはありません。
憧れの監督の指導のもとでプレーしたかったのかもしれませんね。