
「プリンス」や「ツーさん」などの愛称で親しまれる新庄剛志選手は野球ファンの間では知らない人はいないほど印象に残る選手でした。
名前をアルファベットで登録し、プレースタイルや言動も面白みがあり度々注目を浴びました。
明るいキャラクターで球場を沸かせた新庄剛志
新庄選手はプレーだけでなくその明るいキャラクターで球場を沸かせることでもよく知られていました。
そのユーモアある振る舞いはファンに愛されるきっかけにもなります。
メジャーリーグに移籍した当初は「野球を楽しむ」と言った発言を繰り返します。
そしてその精神を貫き通した新庄選手につけられたあだ名は「SHINJOY」でした。
新庄とJOY(喜び)をつなぎ合わせたあだ名はキャラにぴったりだったそうです。
メディアには自ら話に行くことで追われるストレスを避け、心境などを語る独特な話し方が「新庄節」として度々取り上げられました。
この「新庄節」はすぐに日本でも話題となり、2004年の新語・流行語大賞を受賞することになります。
自身の記録がかかった試合でもそのことは監督に黙っていた新庄選手からはチームへの配慮がよく伝わってきます。
チームが勝つことを優先的に精神を徹底して貫き続けました。
そして自分の打席が三振であってもチームが勝利すれば素直に喜べる選手だったそうです。
引退後に巨額金銭トラブルに遭う
国内でもメジャーでも大活躍を遂げ、ファンの心を掴んだ新庄選手でしたが引退後に巨額の金銭トラブルに遭っていたことを告白しています。
あまり金銭に執着のなかった新庄選手ですが、活躍ぶりを見ると非常に高い額の年俸でプレーしていたことがわかります。
その金額はメジャーと国内の合計で44億円にも登るそうです。
そして金銭トラブルで失った額もまた破格の金額だったそうです。
プロ選手として活動し始めた頃から金銭の管理は専門家のAさんに任せていました。
そして引退まで変わらずAさんを頼っていたそうです。
引退後にバリ島をおとづれた新庄選手は魅了され、そこへの移住を決意します。
手元にあった44億円から税金を抜いた22億円の資産を手に新居探しを始めようとしていました。
しかしそこで残高を確認すると2200万円しか残っていなかったそうです。
Aさんは自身の運営する会社に使用してしまい、失われた金額は持っていませんでした。
裁判を起こした新庄選手でしたが結局手元に戻ってきたのは1億円程度でした。
姉が難病を患う
金銭的な災難にもあった新庄選手でしたが、お姉さんもまた大変な目にあっていました。
2019年にプロ野球復帰宣言をした新庄選手はその理由として現在の姉の状況を述べています。
その姉は難病を患っており、そのことも新庄選手が番組で語っています。
詳細な病名は公表していないものの、症状について言及していました。
その症状としては、体を動かすと筋肉が萎縮してしまうこと、ほとんど体を動かせないこと、そして皮膚が黒ずんでしまっていることを激白しています。
そんなお姉さんの家を訪ねた新庄選手でしたが症状がひどくてインターホンにも答えられなかったそうです。
この話を聞くと、自宅療養で入院生活には至っていないのかもしれません。
ですがこの話が症状の悪化する前という場合も考えられます。
新庄選手に似て運動神経が抜群だったお姉さんの病気は新庄選手に大きな影響を与えます。
そして2019年にはインスタグラム上にて選手として復帰することをファンに伝えています。
それでも本人は幸せだという
金銭的に大打撃を受け、追い打ちをかけるようにお姉さんが病気を患ってしまった新庄選手。
それでも明るいキャラクターと精神で「幸せである」というスタンスを貫いています。
失った額の22億円についても「22」という数字をラッキーナンバーとして捉えるほどのポジティブぶりを見せています。
そしてあくまでも自然に過ごすことの大切さを語りました。
明日移住したいと思えばすぐに行動に移すのが新庄流だそうです。
「今日が楽しかったらいいという毎日を過ごす」ことを掲げ、災難に苛まれ続けた人とは思えないほどの精神を持っていると驚かれます。
この災難を「人生の痛み」と称した新庄選手はそれを受け止め笑って生きることを決断しました。
その考えの裏には「失ったものは帰らない」という考えが大きかったようです。
裁判を起こしても帰ってこなかったお金に執着するのではなく、今ある手持ちの金額でできることを探した新庄選手は今でも幸せであると語っています。