中村俊輔

多くのチームスポーツでは選手に背番号があります。

当然サッカーでも出場する選手に背番号が与えられています。

サッカーの背番号の決め方は様々ありますが、1番はゴールキーパー、2番から5番はディフェンダー、6番から8番、10番はミッドフィルダー、9番と11番はフォワードの選手がつけることが多く、ポジションによってつける背番号の傾向があります。

しかし、その背番号は番号以上にチームの象徴や選手の特徴となります。

背番号にこだわりを持つ選手もいれば、あまり意識しない選手もいたり、サッカー選手と背番号には様々なストーリーが存在します。

そして、サッカーにおいて背番号「10」はエースナンバーとされ、チームの中核選手や司令塔の選手が身に着ける背番号として知られています。

世界的にも、サッカーの王様のペレやジーコが身に着けてきました。

日本代表と背番号「10」についても様々なストーリーがあります。今回は日本代表の背番号「10」の決め方とその選手について調べてみました。

遠藤が明かす「日本代表の背番号は協会とスポンサーが決める」

遠藤保仁

日本人のサッカー選手として日本代表に選ばれることは光栄であり、W杯のピッチに立つことを夢見る選手は多いです。

その中でも、日本のエースであることを示す背番号「10」を背負えるのは一人しかいません。

選手によっては代表の背番号「10」を付けることは特別だと言えます。

代表メンバーが発表されると同時に、選手が身に着ける背番号も注目されます。

日本サッカー協会によると、選手の背番号は基本的に監督の意向によって決められ、ポジションなどを考慮した上で決定しているとのことです。

日本代表の背番号の決め方にこれまで様々な噂や憶測が飛び交ってきました。

そして、2014年11月の代表の練習後のインタビューで遠藤保仁選手がその真相を記者に明かしました。

遠藤選手は代表に復帰し背番号も馴染みの7番をつけることになり、記者から背番号「7」について聞かれた際に「協会とアディダスが決めているから何番でもよかったんですけどね。」と答えました。

この遠藤選手の発言により、日本代表の背番号の決め方には代表のユニフォームサプライヤーであるスポンサーのアディダスが強い影響力を持っていることが明らかになりました。

日本代表とアディダスは1999年4月から長期契約を締結し、これまで2度契約更新し、2度目の2015年4月から2022年12月末までの7年9カ月の期間で250億円超の大型契約を結んでいます。

日本代表の選手の背番号は監督の意向だけでなく、アディダスの意向も入ってくるため花形の番号にはある程度アディダスが契約している選手が優先されるみたいです。

そのため、アディダスの契約選手でない遠藤選手が代表復帰した際に背番号について聞かれてもあまり特別な感情を持たず、ぶっちゃけた解答をしたのも何となく想像できます。

日本代表の歴代の「10」選手

日本代表の背番号の決め方にスポンサーのアディダスの意向が強く影響するとのことですが、これまで日本代表で背番号「10」を身に着けてきた歴代の選手を見ていきます。

まず、1980年代に長年代表の「10」を着けたのが木村和司さん。

木村和司さんは1979年に代表に初選出され、1983年から1987年まで背番号「10」を着け代表でプレーをしてきました。

フリーキックの名手として知られ「日本の10番と言えば木村和司」とまで言わしめる程の存在でした。

1988年から1990年まで背番号「10」を着けたのが大榎克己さん。

早稲田大学卒業後に日本サッカーリーグのヤマハ発動機サッカー部に入部しました。

日本代表として国際Aマッチ5試合出場しています。

次に背番号「10」を着けたのがラモス瑠偉さん。

ブラジル出身のラモス瑠偉さんは1989年に日本に帰化し、1990年に日本代表に初選出され1995年まで32試合出場、1得点をマークしています。

ラモス瑠偉さんの後、1994年には精度の高いキックが持ち味でフリーキックの名手の澤登正朗さん、同年に広島で行われたアジア大会では岩本輝雄さんが背番号「10」に着けました。

1995年からはパスで試合を操れるゲームメーカーの名波浩さんが代表の「10」を着けてきました。

日本が初めてW杯に出場した1998年フランス大会でも名波浩さんが日本のエースナンバーを着けて3試合に先発出場しました。

2000年のアジア杯レバノン大会では大会MVPに輝き、日本の優勝に大きく貢献するなど、1990年代後半の日本代表の背番号「10」を背負ってきました。

2001年に行われたコンフェデレーションズカップでは、サイドバックでも中盤でもプレーできる三浦淳宏さんが背番号「10」を着けて出場しました。

その後、2002年日韓W杯まで中村俊輔選手が「10」を着けてきました。

しかし、中村選手が本大会のメンバーに落選し、日韓W杯ではフォワードの中山雅史さんが日本の「10」を背負い世界の大舞台に立ちました。

日韓W杯後は、再び中村俊輔選手が長期に渡って背番号「10」を着けてきました。

左足から放たれる芸術的なフリーキックで数々のゴールを生み、世界的に日本の「10」として知られる存在になりました。

W杯にも2006年ドイツ大会と2010年南アフリカ大会に背番号「10」を着けて出場しています。

2008年の東アジアサッカー選手権では中村俊輔選手が未招集となり、代わりに大会では当時横浜F・マリノスに所属していた山瀬功治選手が背番号「10」を着けて出場し、大会で2ゴールを挙げる活躍を見せました。

中村俊輔選手の次に「10」を身に着けたのが香川真司選手です。

香川選手は2008年に19歳で日本代表デビューを飾り、史上3番目の若さで代表初ゴールも決めています。

2011年アジア杯カタール大会では代表を引退した中村俊輔選手から背番号「10」を引き継ぎました。

ドイツ1部ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントやイングランドの強豪のマンチェスター・ユナイテッドでプレーし、世界でも知られる日本人アタッカーとして活躍した香川選手は2014年ブラジルW杯と2018年ロシアW杯でも日本の「10」として出場しました。

また、香川選手が「10」を着けていた期間に未招集であった2015年東アジア杯では興梠慎三選手が、2017年E-1選手権では大島僚太選手が背番号「10」を身に着け出場しました。

ロシアW杯以降、日本代表の背番号「10」を着けたのがポルトガルリーグでプレーする中島翔哉選手。

2019年アジア杯UAE大会では乾貴士選手が身に着け、アジア杯後の親善試合で代表復帰した香川選手が再び「10」のユニフォームを着ました。

若手メンバー中心で挑んだ2019年コパ・アメリカでは中島翔哉選手が「10」を着け、国内クラブ所属選手のみ召集された2019年12月のE-1選手権ではその年のJリーグMVPに輝いた仲川輝人が身に着けて試合に出場しました。

これまで歴代の日本代表の背番号「10」の選手を調べてみましたが、日本サッカー協会がアディダスと長期のスポンサー契約を結んだ1999年以降、大きな大会などで日本の「10」を背負ってきた選手のほとんどがアディダスと契約している選手になります。

しかし、2002年日韓W杯では当時代表で「10」を着けていた中村俊輔選手がメンバーから落選したため、当時プーマと契約していた中山雅史選手が「10」を着けたのは特例だと思われます。

また、ミズノと契約している本田圭佑選手は代表で背番号「10」を希望したが、アディダスと契約している香川選手が優先され本田選手は背番号「4」になったと言われています。

香川選手に代わって日本代表の「10」を背負った中島翔哉選手ですが、2019年11月に中島選手がアディダスからミズノの契約選手になることが発表されました。

そのため、今後の日本代表の「10」の座が変わるかもしれません。

そんな中、次に日本のエースナンバーの「10」を背負う可能性が大いにあるのが久保建英選手だと言われています。

久保選手は「日本のメッシ」や「小さな天才」とも呼ばれ小学生の頃から日本のみならず、世界でも評価されてきました。

そして、2019年6月にスペインの強豪のレアル・マドリードへの移籍が大きな話題を呼びました。

久保選手とアディダスが正式契約しているという発表は出ていませんが、久保選手は2018年4月からアディダスのスパイクを着用して試合に出場し、アディダスは広告に久保選手を起用しています。

久保選手を巡りスポンサーによる争奪戦が報じられていますが、このまま久保選手がアディダスの正式な契約選手になることがあれば日本代表の背番号「10」を着ることになるのが想像できます。

ハリルホジッチはまさかの「選手同士での話し合い」で決定

香川真司

今まで書いてきたように、日本代表の背番号は監督の意向である協会とスポンサーのアディダスの意向に決められてきました。

そのため、チームの顔となる背番号はアディダスと契約している選手が優先されてきました。

しかし、2015年3月に日本代表の監督に就任したハリルホジッチ氏の下では、背番号の決め方は選手たちの希望と話し合いによってであったとされています。

この事実は、2015年にあるテレビ番組で中村俊輔選手と槙野智章選手が対談を行った際に槙野選手が明かしました。

対談で中村選手は槙野選手が代表で背番号「10」を希望していたことについて尋ねた際、槙野選手は「今の代表は選手間で背番号を決められるシステムになったんです」と説明し、自身と香川選手が背番号「10」に立候補し、二人で話し合いの末背番号「10」を香川選手に譲ったという代表の裏話を披露しました。

番組で槙野選手は選手間で背番号を決める際、「10」に立候補した理由に「昔から10番=中村俊輔っていうのがイメージだった。僕もこの後を追いたいって。」という思いを述べ、同じく立候補した香川選手は「俺の背番号だ!」と引き下がらず、話し合いをして槙野選手は香川選手の思いを聞いて「お前に10番をやるよ」と代表の背番号「10」が香川選手に決まったことを語りました。

番組のオンエア後、ネットでは代表の背番号「10」を巡る秘話に対する感想が多く飛び交いました。

チームの背番号の決め方を「選手同士での話し合い」という方式をハリルホジッチ監督が取ったのは異例のことと言えます。

選手によって、背番号への思い入れは様々あり、選手間のトラブルの原因にもなりかねないと反対意見もありました。

ハリルホジッチ監督は成績不振や選手から不満の声が挙がり、ロシアW杯を目前に控えた2018年4月に代表監督を解任されました。

仮に、ロシアW杯本大会でもハリルホジッチ氏が監督を務め背番号を選手たちの話し合いで決める方式を取っていたのであれば、どのようになっていたのか少し気になります。

まとめ

ここまで、日本代表の背番号「10」の決め方とその歴代選手について調べてみました。

多くのプロスポーツでお金を出すスポンサーが影響力を持つように、サッカーでも同様にスポンサーの存在はかなり大きいと言えます。

そして、その影響力はお金や広告だけでなく背番号の決め方などチーム内部にまであるということがわかりました。

いずれにしても、これまで日本代表の背番号「10」を身に着けてプレーしてきた選手は、その時代の日本代表の象徴的な選手たちであることが言えます。

協会とスポンサーによって決められてしまうと言ってしまうと夢がないように聞こえてしまうかもしれませんが、今までの日本の「10」の選手たちは、世界に誇れる活躍を見せ、多くのサッカーファンを魅了してきました。

大人気サッカー漫画の「キャプテン翼」の主人公の大空翼も背番号「10」を身に着けてプレーしてきました。

また、近年ではヨーロッパの年間最優秀選手のバロンドールに2009年から4年連続を含む6度受賞しているリオネル・メッシ選手やベルギー代表のエースのエデン・アザール選手、フランスの若きエースのキリアン・ムバッペ選手など世界のあらゆるスターが背番号「10」を身に着けています。

今後も日本代表のエースナンバーの「10」に選ばれる選手とその活躍に注目が集まることは間違いないです。