
オリンピックにも日本代表として出場し活躍した池江璃花子選手ですが、順風満帆な人生に災難が降りかかります。
白血病を患ってしまい、医師からはプールに入ってはいけないことを告げられます。
この病気と闘い続けた池江選手は世界に向けてメッセージを送っています。
順風満帆だった池江璃花子の白血病
競泳の日本代表選手として世界に名を知らしめる池江選手は数々の大会で優勝してきました。
2018年に開かれたアジア競技大会では異例の6種目で金メダルを獲得し、残りの二つの種目でも銀メダルを得ています。
リオオリンピックには日本代表として出場すると、日本人選手では史上初となる7種目すべてに選出されます。
本大会では表彰台を惜しくも逃したものの、バタフライ100mでは日本記録を樹立しています。
「56秒代を出す目標はあった」と試合後に述べ、「4年後に向けて」と次のオリンピック出場を見据えた発言を残しています。
実際、彼女にかかる期待は凄まじいものでした。
日本記録を樹立するなど将来が有望だった池江選手でしたが、そんな彼女に悲劇が襲います。
体調不良を訴え医師を訪れたさいに診断されたのは白血病でした。
ここから池江選手の過酷な闘病生活が始まることになります。
そして再びメディアに見せた姿は変わり果てていてファンも驚いたそうです。
過酷な闘病生活
池江選手は入院生活のことを今年の2月に「報道ステーション」にて伝えています。
白血病と診断され、抗がん剤治療を受けた池江選手は非常にしんどい入院生活を送りをしました。
抗がん剤の副作用の辛さに「死んだ方がマシ」と考えたこともあったそうです。
その中で関係者、家族、友人らのサポートが励みになったと語っています。
しかしブログではその治療の、想像をはるかに超える辛さを赤裸々に綴っていました。
「思っていたより数倍、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです」と伝えた池江選手を心配する声がたくさんあがりました。
自身のツイッターには3日以上ご飯を食べれていないと言った内容の投稿もしていました。
その一方で、心配する人々に対して「でも負けたくない」など力強いコメントを残しました。
想像を絶する治療の苦しみはアスリートでも耐えられないほどだったそうです。
そしてこの闘病生活の中数々のエールが多方面から池江選手に寄せられました。
ライバルからもエールが送られる
必死に闘病生活に励んでいた池江選手にはライバル選手からもエールが届きます。
このメッセージの伝え方は「感動的」と世界中の水泳ファンを魅了しました。
世界水泳の女子100mバタフライ決勝でその出来事は起こりました。
本来ならば池江選手もこの中にいて表彰台を争っているはずでした。
そしてマーガレット・マクニールが優勝し、池江選手最大のライバルであったサラ・ショーストロムが2位、エマ・マキーオンが3位となりました。
この3人は闘病生活を送る池江選手に対して手のひらに文字を書き、メッセージを残しています。
そこには英語で「IKEE」「RIKAKO」と池江選手の名前が書かれ、マーガレット・マクニール選手の両手には「NEVER GIVEUP」のふた文字が映し出されていました。
この表彰台は「感動の表彰台」と記され世界中で発信されました。
なお国際オリンピック委員会のバッハ会長も池江選手に対して「夢を諦めないで」とエールを送り、水泳界全員が池江選手の復帰を待ち望んでいました。
ウィッグを外し、ありのままの姿を発信
そんな辛い闘病生活を終えた池江選手は再びメディアに姿を現しました。
しかしその変わり果てた姿は闘病生活の大変さを物語っていました。
ウィッグを外し、ありのままの姿をメディアで発信した池江選手。
「今のありのままの自分を見てもらいたい」とし、暗い世の中の今だからこそ自分の経験が希望につながるかもしれないと考え投稿したそうです。
また、髪がないことについては「髪の毛がないことは恥ずかしいことではないですし」と語り、「自分自身に誇りを持っている」と勇気付けられるメッセージを添えています。
この短い髪の姿にはファンも非常に驚かされていました。
そして世間からは「おかえり」と大々的に復帰を喜ばれ、連日アスリート仲間からは祝福の声が上がったそうです。
さらには国民が選ぶ好きな女性アスリート一位に選ばれたそうです。
そのことに対しては素直に「嬉しい」とブログ上で語っています。
今のコロナウィルスの状況にも前向きなメッセージを送っている池江選手、次の活躍も期待できそうです。