
【NPBでの年俸】
今期で21年間の野球人生に終止符を打った上原浩治投手ですが、彼の年俸が凄い額だと話題になっています。
メジャーリーグ優勝をも経験した日本人投手はどれほど稼いでいたのでしょうか、読売ジャイアンツ時代から見ていきたいと思います。
大学時代、上原投手は国際大会で活躍しメジャー4球団が獲得に乗り出していたそうです。
その中で逆指名して入った巨人では一年目から大活躍します。
その年の年俸は1300万円で、契約金として1億円が上原投手に支払われました。
好成績を残し続けた上原投手の年俸が1億円を超えたのは入団4年目でした。
1億600万円で巨人のリーグ優勝に大きく貢献し、最優秀選手賞を獲得しています。
徐々に年俸を上げていった上原投手は翌年の2002年およそ2倍の2億1000万円まで年俸を上げています。
2004年からの3年間は年俸三億円で先発投手として活躍しています。
巨人を移籍する前の年にはとうとう4億円もの年俸を手に入れ、翌年にはメジャーへと移籍します。
【MLBでの年俸】
巨人での生活ですでに総額20億円以上を得ていた上原投手ですが、メジャーには破格の年俸で移籍し、8年間プレーしています。
まず、オリオールズと2年契約をした際には2年で1000万ドル獲得します。
これは日本円にして約20億円にあたります。
この凄まじい額に加え、出来高として600万ドル(約12億円)を約束された上原投手は安定した投球を続けました。
そして2011年にはトレード移籍としてレンジャースへの入団が決まります。
しかし翌年に右広背筋を痛めてしまい、DL入りします。
この年の年俸は前年に比べ年俸も350万ドル(約7億円)にまで下がってしまいます。
怪我を克服し挑んだ2015年シーズンからは8回からを担当するセットアッパーとして活躍し、過去最高の900万ドル(約18億円)もの年俸をもらいます。
2016年も同じ900万ドルでプレーした上原投手はシーズン終了後にカブスへと移籍を果たします。
600万ドル(約12億円)で契約した上原投手はメジャーリーグ最後のシーズンをカブスで過ごすことになります。
【家族をアメリカに残し単身再び日本でプレー】
上原投手がメジャー移籍を果たした際に、ご家族も一緒に移住したそうです。
そして一人息子の一真くんもアメリカに住んでいた時に授かっています。‘
そのため、一真くんは流暢な英語を度々メディアでも見せていて、現在は名門アスリート育成学校のIMGアカデミーに通っているそうです。
なお、上原選手はカブスでのシーズンを終えるとメジャーからのオファーがない限り引退を考えていたそうです。
しかし2018年になると読売ジャイアンツ復帰の意思を表明し、一年契約で日本に戻ってくることになります。
大スターの復帰にジャイアンツファンは多いに盛り上がりました。
背番号は以前背負っていた「19」番ではなく、「11」番となります。
この年の上原投手は推定で2億円の年俸をもらっていたと言われています。
同年にはファン投票でマイナビオールスターゲームに選出されるなど、活躍を見せさらに翌年も契約を果たしています。
2019年には背番号をメジャーでつけていた「19」にし、球界最年長選手として出場していました。
【生涯年俸は70億円超!引退後はアメリカで暮らす】
毎年高額な年俸でチームと契約を果たしていった上原投手ですが、その生涯年俸はなんと70億円を超えるそうです。
NPB時代の読売ジャイアンツ所属時にはすでに20億円を超える合計年俸を手にしていました。
そしてメジャーリーグへ進むとこの額はもう一段階跳ね上がることになります。
一年目から10億円を手にする上原投手は最高で一年に18億円もの年俸をもらいます。
一年で読売ジャイアンツ時代の10年分と等しい額をもらっていた上原選手はなんと家を7つ保有していると言われています。
しかし高額な収入を得ても決して豪遊はせず、「2000-3000万円選手のように生活している」とチームメイトからコメントされています。
なお上原投手はNPBでは珍しいシーズン途中での引退を表明しています。
この裏には若手の投げる機会を自分が奪うという罪悪感もあったとのちにメディアで語っています。
そして現在はメジャーリーグ挑戦一年目に住んでいたマリーランド州で家族と暮らしているそうです。