福田光輝

現在千葉ロッテマリーンズに在籍している福田光輝選手は昨年のドラフト会議にて指名され入団を果たしました。

甲子園で注目を集めた福田選手は数々のスカウトにチェックされていたそうです。

その高校時代の同期たちもまた注目を集めています。

福田光輝のプロフィール

福田光輝

大阪府大阪市出身の福田選手は極めて珍しい右で投げて左で打つタイプの野球選手として知られています。

幼少時代から野球を始め、地元でプレーを続けていました。

そして高校進学時も地元にある強豪校の大阪桐蔭高等学校への進学を決めました。

なんと入部したての1年目にして甲子園大会に出場を果たしているから驚きです。

そこで経験を積んだ福田選手は着々と練習で実力を上げていきました。

迎えた2年目のシーズンもまた甲子園大会に出場し、今度はチームの中心選手とも言える立場で度々チャンスを演出しました。

2年生にして甲子園優勝を経験した福田選手とそのメンバーらにはスカウトも大きな注目を寄せました。

甲子園優勝という大きな経験を積んだ福田選手は3年生の時にキャプテンとして再びこの大会に出場、3年連続出場の快挙を成し遂げました。

しかし、残念ながらチームはベスト4止まりとなってしまいました。

5巡目指名をロッテから受けると入団を果たし、現在は高校での先輩でもあった香月選手とともにプレーしています。

4番の青柳昴樹は横浜へ・・・しかし4年で引退

青柳昴樹

無事ロッテに入団を果たした福田選手ですが、ともにプレーをしていたメンバーらにも注目が集まっていました。

同学年には青柳昴樹選手が在籍していて、ともに甲子園大会優勝を経験しました。

青柳選手は小学校一年生からソフトボールをはじめ、本格的に野球への道を進むため福田選手と同じ大阪桐蔭高等学校へ進学を果たします。

青柳選手は2015年にドラフト会議で六巡目に横浜ベイスターズから指名をもらい、入団しました。

背番号は「57」番で、「2018-2019年注目すべき若い選手たち」にも選出されました。

オーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)に派遣選手として送られ、そこで試合をこなす日々もありました。

他の日本人選手4人とともに、ABLでの活躍が日本だけでなく海外からも期待が集まったそうです。

しかしながら、40試合近くに出場した青柳選手の成績は打率.155と自身でも納得の行かない結果となってしまいました。

毎年二軍でシーズンを迎えていた青柳選手は入団から4年で戦力外通告を受け、引退しています。

藤井健平、田中誠也は社会人野球で現在も活躍

田中誠也

青柳選手の他にも、福田選手とともに高校時代でプレーしていた選手らは活躍の場を変えても野球を続けていました。

同世代でやってきていた藤井健平選手もその期待されていた選手の中に名を連ねていました。

藤井選手は大学へと進学し、そこでも野球に情熱を注いでいたそうです。

そして社会人リーグのNTT西日本に2020年から在籍することが決まりました。

これについて本人は「チームの目標である日本一を達成するため新人らしくフレッシュにプレーをします」とコメントを残しました。

期待を寄せられている新人としてチームに迎え入れられました。

一方、田中誠也選手もまた福田選手とともに高校時代を過ごした盟友で、社会人野球で活躍している選手の1人です。

田中選手は現在社会人野球の強豪チーム、大阪ガスに在籍していて、藤井選手とはライバル関係にあります。

高校時代の親友らが同じ社会人リーグの別チームで活躍しているのも励みになりそうです。

大阪桐蔭高等学校のこの年の選手らはとても有望だったことがわかります。

まとめ

大阪桐蔭時代に二年生ながらに甲子園大会優勝を成し遂げた福田選手、その当時のチームは最強と言われ、続く翌年もまたベスト4に名を連ねました。

福田選手自身は3年連続で甲子園大会に出場を果たしていて、現在はロッテにスカウトされそこでプレーしています。

福田選手はこの高校時代の3年目にはチームのキャプテンを任されていて、みんなを引っ張っていく存在として慕われていたそうです。

その最強世代をともにした同級生らもまた、現在は各々野球界で活躍を遂げていました。

まず、その高校時代で4番バッターを任されていた青柳選手は2015年にドラフト会議でDeNAに入団を果たしています。

しかし、思うような結果が残せず2軍で試合に出続ける日々を強いられてしまいました。

結果、4年という短い期間で球団を退いています。

他にも、チームの主力選手として働いた藤井選手や田中選手がいましたが、2人は現在社会人リーグの強豪クラブで活躍を施しているそうです。