
今や日本サッカー界の顔とまで成長を遂げた本田圭佑選手。
これまでに大胆な発言でメディアを騒がせてきました。
しかしメディアには本田選手の髪型も度々取り上げられます。
そんな本田選手の髪型を振り返っていきます。
昔は黒髪でプレーしていた本田圭佑
高校時代から頭角を現し始めた本田選手はすでにメディアから注目されていました。
石川県の強豪校星稜に所属し、一年生の時からスターティングメンバーを張っていました。
今では本田選手といえば金髪というイメージが根付いていますが、このころはまだ染めていない黒髪でした。
おそらく高校生ながらに金髪に染めるという行為は校則違反だったのかもしれません。
それでもその名を全国に知らしめ、石川県勢初となるベスト4進出に大きく貢献しています。
そして数々のJクラブがオファーを提示した中、本田選手は名古屋グランパスと契約を果たしています。
高卒ルーキーながら開幕戦に名を連ねるなど、チームからの信頼は厚かったようです。
そんな本田選手のデビュー当時の髪型は黒髪で、長めのヘアースタイルでした。
髪型だけではなく、プレースタイルもまた攻撃的な選手ではなかったそうです。
昔は左サイドバックの守備的なポジションを担っていました。
本田圭佑「日本男児だから黒髪でいたい」
日本でプレーしている期間はそのままずっと黒髪で、若いルーキーとして注目され続けました。
今のような金髪にしたのは海外に移籍した後のことでした。
そんな本田選手は髪色に強いこだわりを持ってきていたそうです。
学生生活を送る中で周りの人にそのこだわりを主張していたエピソードも語っています。
そしてその主な理由として、「日本男児だから黒髪でいたい」というものが大きかったようです。
日本人として生まれたからこそ、日本人らしい黒髪で生きていくことを誓ったのかもしれません。
そしてそれは日本代表としてプレーする中で強くなっていったそうです。
しかし、それもまた現在では撤回されたポリシーとなってしまいました。
ファンらは日本を代表する選手が金髪だと違和感が強いという意見も過去の本田選手に当てています。
しかし、そのキャラクターを作り上げた本田選手の金髪姿はもはや印象通りの色になっています。
ファンにとって他の髪色でプレーする本田選手を想像することの方が難しいようです。
海外挑戦後、金髪へ
名古屋グランパスでも成績を積んでいき、日本代表にも選出される中で本田選手の海外挑戦が近づいてきました。
そして海外挑戦後にようやく黒髪から金髪へと髪を染めます。
2008年にオランダリーグのVVVフェンローからオファーがあり、それをすぐさま受け入れた本田選手は海外移籍を果たしました。
そこでは2年目からエースナンバーの背番号10番も2年目から任され、外国人負けしない性格でチームを勝利に導いていきます。
この時、本田選手の髪色は染められていて、金髪でした。
日本でプレーしていた時から一転してワイルドな印象を放っていた本田選手の髪色は国内のファンに衝撃を与えました。
2年目にはMVPを獲得するなど着々と成長を遂げていった本田選手は2010年にロシアリーグのCSKAモスクワへと移籍を果たしました。
ここでもまた金髪でプレーをし、チームをリーグ優勝へと導き活躍を遂げます。
そこからはどのクラブ、どの大会でプレーしようが本田選手は金髪を貫いてきています。
金髪は本田圭佑の思想の変化の表れか
そのように日本男児として黒髪を貫き通していた本田選手のこの行動は知人にも衝撃的だったようです。
長年語り続けていた黒髪に対するこだわりを破ったのには本田選手なりの理由と覚悟がありました。
それは、「強烈なイメージを持ちたかった」と本人は語っています。
平凡な黒髪の日本人プレイヤーではなく、派手な海外選手にも負けないような色合いの金髪に髪色を変えました。
その言葉通り、海外のガタイのいい選手に対しても気持ちで劣ることなく競り合っていった本田選手は度々日本代表に選出されます。
度々過剰な批判発言などで取り上げられた本田選手の態度からはいかに物怖じしないかが読み取れます。
そしてその姿勢のまま夢であったセリエ Aのクラブで背番号10を背負うことになります。
批判が相次ぐ中でも本田選手は引き続き前向きな姿勢を取り続けました。
海外の選手にも怖気付かずプレーしてきたからこそワールドカップ三大会連続でゴールを記録するという偉業を成し遂げることができました。