酒井高徳

昨年ヴィッセル神戸に加入すると、チームを天皇杯優勝に導く活躍を見せた酒井高徳選手。

日本代表としても活躍していましたが、その際には「ハーフじゃないか」といったファンからの声は少なくなかったようです。

【ハーフがコンプレックスだったことを著書で告白】

ドイツリーグでも活躍した経験のある酒井選手はハーフであることが度々メディアでも取り上げられていました。


そして発売した書籍、「W―ダブル」ではそのことについて言及しています。

何より、この本の題名にも自身の苦悩と葛藤が隠されていました。

ドイツ人の母と日本人の父を持った酒井選手はハーフであることが幼少期のトラウマだったそうです。

ハーフが原因で他人と話すのを控えたり、決して裕福ではない家庭で育ったのがそのトラウマに足されていきます。

そこで発想を転換させた酒井選手は自身を「ハーフ」ではなく「ダブル」と捉えるようになります。

ドイツと日本半分づつではなく、両方の国の良さを体現できるという事実を前向きに考え始めました。

幼少期からコンプレックスとして捉えていたハーフの一面を自ら考え方を変えて「ダブル」という武器にした酒井選手。

書籍にはそんな酒井選手の壮絶なサッカー人生が語られています。


【日本ではドイツの血による身体能力が評価された】

「ハーフ」ではなく「ダブル」と捉えることによって自身の内面と外側の両方が酒井選手を後押しすることになります。

ドイツ人としての類稀ない身体能力、そして日本人としての泥臭い精神は向上し続ける選手の特徴として捉えられました。

Jリーグデビューからその輝きを放っていた酒井選手はドイツへの移籍も果たします。

ドイツでは酒井選手の身体能力はずば抜けているわけではありませんでしたが、劣っているわけでもなかったそうです。

そして国内ではその外国人選手とも当たり負けしない身体能力が評価され、日本代表に選出されます。

これまで年代別の代表でも活躍を遂げてきた酒井選手は2012年の親善試合で代A表デビューを飾ります。

続くワールドカップにも選ばれますが、その大会では出場機会に恵まれませんでした。

日本代表不動の右サイドバックだった内田篤人選手が負傷すると、2015年シーズンのアギーレ体制では身体能力が評価され全試合に出場します。

【ドイツでは日本で磨いたカバーリング技術が評価された】

2010年の南アフリカワールドカップの控えメンバーとして帯同し、すぐ後には日本代表としても出場を果たした酒井選手。

その活躍からドイツの古豪、ハンブルガーSVへと移籍を果たします。

まだ若かった酒井選手は完全にスターティングメンバーに定着していたわけではなく、出場機会が巡ってくるまで練習に励んでいました。

同じポジションの選手が怪我を負い、酒井選手に出番が回ってくると当時の監督は酒井選手にJリーグ時代の映像を見せたそうです。

ハンブルガーSVでは試合に出場をしていなかったため、どのようなプレーを監督が求めているかをアルビレックス新潟時代の映像で説明されたそうです。

そこには酒井選手がサイドバックとしてカバーリングを徹底するが映し出されていました。

結局その試合にチームは勝利し、酒井選手は高い評価を得ました。

そしてチームのキャプテンにまで上り詰めた酒井選手はチームメイトや監督からも信頼されていたことがわかります。

【酒井高徳「コンプレックスを持つ人に勇気を与えたい」】

自身のコンプレックスだったハーフを乗り越えてきた酒井選手は書籍で「コンプレックスを持つ人に勇気を与えたい」と述べています。

ハーフであるということを受け止め、それを「ダブル」という発想で自分の強みへと生かした酒井選手は多くの読者に希望を与えています。

コンプレックスを武器に変えるのは容易いことではなく、本人も苦労したそうです。

ドイツリーグでは二部降格も経験し、日本代表でもいい結果を残せない日々が続く中、この考え方は酒井選手を日々成長させ続けました。

このような苦い経験も成功のきっかけに収めてしまう酒井選手は「ダブル」という武器を活用し、日本のサッカーファンを勇気付けています。

トラウマで悩む人たちに道しるべを示すという気持ちで書いた書籍はサッカーファンだけでなく数々の読者に響いています。

酒井選手自身は「おこがましいかもしれないけど」と断ってはいるものの、この書籍によって勇気付けられる読者は必ずいます。